アルメニア

アルメニア 現在の欧州で戦闘状態にある

国はどこでしょうか?ぜひお教えくださいませ。....

  現在の欧州で戦闘状態にあるの詳細


アルメニア 外国語が喋れないですが旅をしたいです

れると思いますがフランスなどは英語で話しかけても相手にしてくれないというのを聞いたことがあります。本当に不安ですが自分が一回り大きくなるには海外一人旅は必要だと思い挑戦します。海外経験のある方は、外国語を話せ....

  外国語が喋れないですが旅をしたいですの詳細


アルメニア 夜のローマについて

今春ローマを訪問予定ですが、夜のライトアップも綺麗なようで是非行きたいのですが、夜は何時ごろまで地下鉄なども含め、比較的安心でしょうか?男女二人組です。....

  夜のローマについての詳細


アルメニア 結婚指輪はどこで買いましたか?

2月に籍を入れる予定です。今困っているのが、結婚指輪をどこで買ったら良いかと言うことです。2人とも、着道楽のため、こだわりすぎて選べずじまいです。そこで1回思考を白紙にして考えてみようと思って....

  結婚指輪はどこで買いましたか?の詳細


アルメニア

アルメニア共和国

... 仕事を始めたら簡単には海外旅行へ行けない のが悲しいですが、このブログでバーチャル トリップを再開しようと思います。 さて、今回は アルメニア について調べてみました。 「10万円貯まる本」より--------------------- 市民の心のふるさとであるアララト ...

アルメニア共和国

南コーカサス、アルメニアへ旅行しませんか!

... http://www.asyaararat.am/ アルメニアやコーカサスの歴史・文化に気軽にふれることができることと思います。 おことわり:アルメニア旅行を不法斡旋する無認可の旅行業者・団体があります。海外旅行に関して、正規の日本の旅行業者であれ ...

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カジミエジュ・ドルヌィ

... [写真]廃墟となったカジミエジュ・ドルヌィ城 時の王ソビエスキ三世は、アルメニア人やギリシャ人、ユダヤ人の商人に住民権をあたえるなどして、 商業を活性化させ復興を図ろうとしましたが、それもむなしく、町は再びスウェーデン軍の侵略にあい ...

カジミエジュ・ドルヌィ

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10月1日 本日の株価材料と今週のスケジュール

... 仏加工食品会社を買収 ・三井物、エジプト・アルメニアで発電施設480億円受注 ・松下、電池工場で火災 ・リンテック、プラズマ素材参入(産経) ・6万円 ... │ 最高水準の海外旅行傷害保険 最高1億円をご用意。 │ │◆ 旅の合間に優雅なひとときを。 ...

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海外旅行事情

... 海外旅行の情報を織り交ぜて書いてみます。 皆さんは、海外に行くとしたら、どこに行きたいですか? これは仲良しのそのっち ... 後になって行きたい国 北欧諸国・スペイン・グルジア・アルメニア・アゼルバイジャン 是非行きたい国ナンバー1のエジプト ...

海外旅行事情

アルメニア

ジプシーの来た道―原郷のインド・アルメニア

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アルメニア人ジェノサイド―民族4000年の歴史と文化

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アルメニアの少女 (児童図書館・文学の部屋)

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悲劇のアルメニア

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新アルメニア史―人類の再生と滅亡の地

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アルメニア

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イランの旅【1】 「イランの真珠」 イスファハーン(by さすらいおじさんさん)

アルメニア
イスファハーンはイラン西部の人口約120万人を擁するオアシス都市である。紀元前8世紀のアッシリア帝国時代からシルクロード貿易の要衝として繁栄していた。この街が栄華を極めたのは1597年、サファヴィー朝のアッバース1世がこの地を首都に定めてからである。1979年に世界文化遺産に登録されたエマーム広場を中心に宮殿、イスラム寺院、バザール、ザーヤンデ川にかかる橋などアッバース1世の都市計画の指示の下に壮大な街並みを創造、ヨーロッパの外交使節や商人からは「イスファハーンは世界の半分」という言葉で讃えられたそうだ。「王の広場」と呼ばれた縦510m横163mの長方形のエマーム広場の周辺はイラン初の高層建築アーリー・ガープー宮殿、1638年に完成したイランのイスラム芸術の集大成であるマスジェデ・エマーム寺院、イスファハーンで最も古い金曜モスクでモンゴル支配時代の建築様式も見られるマスジェデ・ジャーメ、アッバース1世の命で1601年より建造され1617年に完成したサファヴィー朝建築の傑作、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー、8世紀から商業の中心だったバザール、バザーレ・エスファハーンなどが取り囲み「イランの真珠」と呼ばれる光景はいつまで見ていても飽きることが無い。
 この街はイラン高原最大のザーヤンデ川中流に位置し、1666年アッバース2世時代に完成したハージュ橋には王が夕涼みをし宴を楽しんだテラスが残っている。40度前後の暑さの中、街の人々は橋の下で昼寝したり、流水に足を浸したりして涼んでいた。1602年アッバース1世時代に完成したスィー・オ・セ橋は33のアーチが映える川面が美しく、橋の下には水たばこやお茶を楽しめるチャイハネが並んでいる。
1647年にアッバース2世が建造した迎賓館、「40の柱」という意味のチェヘル・ソトゥーン宮殿を映す鏡のような池はスペインのアルハンブラ宮殿を連想させる美しさだ。
ヴァーンク教会は1664年に完成したアルメニア人のキリスト教会。1915年からオスマントルコがイラン在住の300万人のアルメニア人のうち半数の150万人を虐殺した記録を展示している。イスラム教徒がキリスト教徒を全滅させるための虐殺だが、世界中に実在する残虐な歴史に胸が痛む。
「イランの真珠」 イスファハーンはイスラム教、キリスト教、ゾロアスター教などの宗教遺産や宮殿、橋、バザールなどの歴史文化遺産が溢れる一週間は滞在したい見所満載の街である。
(写真は33のアーチが映える川面が美しいスィー・オ・セ橋)

【旅行時期】2005/07/13~2005/07/20
【エリア】イスファハン
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】さすらいおじさん

イタリア縦断の旅 ?ピサ(by yoko-saisaiさん)

アルメニア
斜塔で有名なピサ。ドゥオモ広場は世界遺産に指定されています。写真などで見ていて子供の頃からひと目見てみたいな−と思っていました。実際見てみて感動!感慨深いです。
また白い斜塔、青い空、オレンジ色の建物、緑の芝生のコントラストがとても美しいです。ドゥオモ広場の芝生では、みなさんが思い思いにのんびり寝転んだりしています。他の世界遺産とは少し違ったのんびりした雰囲気も素敵です。

今回のイタリア旅行で訪れたところは、カプリ島→バチカン市国→ローマ→シエナ→サン・ジミニャーノ→フィレンツェ→ピサ→ヴェネツィア→ヴェローナ→コモ湖→ミラノです。

【旅行時期】2006/09/27~2006/10/07
【エリア】ピサ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】yoko-saisai

ノスタルジックフランスーアヴィニョン、グルノーブル、フォンテンブロー(by アリヤンさん)

アルメニア
1986年の夏休み。クウェートからオリンピック・エアでアテネ経由でパリへ。今度は子供が2人になって親子4人、モンパルナス駅の隣りで借りたレンタカーで一路南を目指した。リヨン、ヴァランス(この町はアルメニア人が大多数を占める町。シリアのアレッポを思い出す。)、オランジュ、そしてアヴィニョン。写真嫌いだったので当時の写真は少なく、子供の思い出づくりにと思い撮ったもの。もっとアチコチ撮っていればなあ、、っと後悔先にたたず。
当初の計画ではマルセイユから南仏海岸を走ってからパリに戻る予定だったが、アックス・オン・プロヴァンスで道を間違い、アルルまで行ったりしてマルセイユにどうしても行く事が出来なかった。仕方なく方向を転換してアヴィニョンに寄り、グルノーブルに立ち寄った。フレンチ・アルプスを右に眺めながらシャンベリ周りでパリに帰還した。1週間くらいのドライブだった。

当ブログはパリ、アヴィニョン、グルノーブル、フォンテンブローとごっちゃ煮となっていますがご勘弁ください。

【旅行時期】1986/08/~1986/08/
【エリア】アヴィニヨン
【テーマ】
【投稿者】アリヤン

中東旅行 4・エルサレム旧市街(by glabraさん)

アルメニア
3つの宗教の聖地、エルサレム旧市街に2日間滞在しました。
エルサレム旧市街は、平面的には4つの地区(イスラム教地区、ユダヤ教地区、キリスト教地区、アルメニア人地区)に分かれていますし、立体的には「遺跡の上に遺跡がある」「建物の上に建物がある」という「歴史の重なり」を感じさせます。
観光客はすくないようでしたが、感動のあまり涙を流している巡礼の欧米のキリスト教徒も多数見られ、新市街から通ってくる独特の黒い服装のユダヤ教徒、旧市街では多数派であろうイスラム教徒の人たち、そしてもう一つ忘れてはならないアルメニア人と4つのグループが共存する不思議な空間です。

【旅行時期】2005/09/08~2005/09/09
【エリア】エルサレム
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】glabra

欧州・バックパッカーの旅【50】 イスラエル・エルサレムの「悲しみの道」を歩く(by さすらいおじさんさん)

アルメニア
10月29日の23:30にイスラエル・テルアビブのベン・グリオン空港着。入国審査は予想通り厳しかった。若い女性の係官だったのだが、にこりともしないで、入国目的は?知人がいるのか?ホテル名は?滞在日数は?出国チケットは?帰国チケットは?と矢継ぎ早に質問してくる。たじたじしながら答えて、パスポートにスタンプを押さないでと頼むと何故だ?と聞かれた。ガイドブックにも「No stanp please」で別の紙にスタンプを押してくれると書いてあったので、答えを考えていなかった。「イスラム国に入国できなくなるから」と言えば入国拒否されるのではないかと不安で、答えに窮してもじもじしていると何度もWhy?と言ってくる。口の中でもごもごしていると業を煮やしたのか、係官のほうから睨みつけて「モスリム国?」ときた。そうだと答えると別紙にスタンプを押してパスポートを投げ返してきた。この間30分、どれだけたくさんの旅行者が待っていようがお構いなしだ。これまでの入国審査でこれほど横柄な係官に会ったことがない。入国できたのは夜中の1時。換金し、エルサレム行きのバスターミナルをインフォーメーションで聞き、空港で朝を待つことにした。6:30の5番バスで20シェケル・600円を払い、終点で947番バスに乗り換えてエゲットバスのセントラルステーションに8:10着。バスの時刻表などをもらってヤッフォゲート行き20番バスで9時ヤッフォ門着。インフォーメーションで地図をもらって旧市街のスークの中にある聖墳墓教会に近いタバスコホステルを探すが迷路のような道でなかなか見つからない。何度も道を尋ねてようやくたどり着いたがヘブロン・トゥデイ・ホステルと言う名前に変わっていた。1泊25シェケル・750円のドミトリーにチェックインできたのは10月30日の10:30。
エルサレム訪問の目的のひとつはアントニアの要塞で死刑判決を受けたイエス・キリストが十字架を担いで磔の刑に処されたゴルゴタの丘まで歩いたと言われるヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩くことだ。10月30日の午後「巡礼者のためのガイド」(5シェケル・150円)を買って14あるステーションを探しながら歩いた。
*ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
第1ステーション:イエスが死刑判決を受けた総督官邸跡、現在はオマリーエ学校の校庭。
第2ステーション:イエスが十字架を担がされたフランシスコ会。
第3ステーション:イエスが十字架の重みに倒れた場所。ポーランドのカトリック騎士団が聖堂を建てた。
第4ステーション:聖母マリアがイエスを見守った場所、現在はアルメニア・カトリック教会。
第5ステーション:クレネ人シモンがイエスに代わって十字架を担いだ場所。
第6ステーション:ベロニカがイエスの顔を拭った、現在はイエスの小さき姉妹会修道院。
第7ステーション:イエスが2度目に倒れた、判決の門。
第8ステーション:イエスがエルサレムの娘たちを慰めた、現在のギリシャ正教の修道院。
第9ステーション:イエスが3度目に倒れた、現在のコプト派総主教府入り口脇の柱。
第10ステーション:イエスが衣を脱がされた聖墳墓教会の階段の場所。
第11ステーション:イエスが十字架に釘付けにされたローマ・カトリックの祭壇の場所。
第12ステーション:イエスが十字架上で息を引き取ったギリシャ正教会の祭壇の場所。
第13ステーション:イエスが十字架から降ろされた「悲しみのマリア像」の場所。
第14ステーション:イエスが葬られた聖墳墓教会のギリシャ正教の墓。

ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩きながら、イエスは重い十字架を担がされて何度も倒れながら、どんな思いでこの道を歩いたのだろうと考えていた。
(写真はヴィア・ドロローサ−悲しみの道)

【旅行時期】2006/10/30~2006/10/30
【エリア】エルサレム
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

?世界の半分?古都イスファハンを巡る旅(by kazukazuさん)

アルメニア
テヘラン→コム→ハマダン→イスファハンをバスで巡る旅

【旅行時期】1996/09/~1996/09/
【エリア】イスファハン
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】kazukazu

Armenia(by kmさん)

アルメニア
グルジア国境で車に乗せてくれた「親切な二人」は、恐喝グループだった。渡された名刺は他人の物だろう。確かに彼らの人相は非常に悪く、体格と声はやくざ風、振る舞いは粗野だったが、アルメニアは見かけが悪くてもいい人が多い。前回訪問時、実際には良い人を疑って申し訳なかったと自省することが多かったので、今回は信じてだまされてしまったのだ。2人組はセバン湖などいろいろ連れて行ってくれた挙句、人気のないところに移動し最後は「300ドル払え」。1度目のアルメニア訪問時親切にしてもらったA氏の連絡先やアルメニア語会話帳も取り上げられたまま。妙に日本のことに詳しいこの男、相当多くの日本人を食い物にしてきたのだろう。運よく家から出てきた農家の人に車の窓から助けを求め、家の中に入れてもらう。言葉は通じなかったので事情はうまく伝えられなかったが、食事やお土産のりんごまでいただき、タクシーを呼んでもらう。翌日は、アゼルバイジャン内の飛び地「ナゴルノカラバフ」へ。YerevanからGorisの町まで乗り合いバス、そこから英人旅行者とタクシーをシェア。国際的には未だアゼルバイジャン領の土地だが、ソ連崩壊後のカラバフ戦争によりアルメニアが占領、アゼルバイジャン系住民は難民となりアゼルバイジャンの各地に離散。カラバフは独立宣言するものの、アルメニア以外で承認している国なく(ただしアルメニア財界の影響力が強い米仏に連絡オフィスあり)、アルメニアの傀儡というのが世界的な認識。アルメニアは、アゼルバイジャンに囲まれた飛び地となってしまうカラバフとアルメニア本土をつなげるために「ラチン回廊」という通行路を確保しているのでアゼルバイジャンへの入国手続きをすることなくアルメニア本土と行き来できる。・・・きっとアゼルバイジャン領に囲まれたラチン回廊は緊迫していてアルメニア兵士だらけ、検問連続のばず・・・というのが私の予想だった。実際に行ってみると、ラチン回廊どころかカラバフとアルメニア本土の間にあるはずのアゼルバイジャン領はすべてアルメニアの支配下、アルメニア本土とカラバフは隣り合わせになっておりカラバフはもはや飛び地ではなった。たまげました。TNT(オランダの運送会社)作成の地図をコダックのアルバムに載せたので見てください。入国審査も検問もなく、兵士もほとんど見ないまま、カラバフ共和国に入国。廃墟となった家々やモスクが悲しい元アゼルバイジャン系の町シューシによって、首都ステパナケートへ向かう。「あそこの戦車はアルメニア軍のものだよ。アゼルバイジャンは狙撃兵が抵抗してただけで戦車なんか来れなかったんだ。」聞けば聞くほどアルメニアの圧勝だったようだ。「あそこがアルミャンスキー(アルメニア人)の墓場だよ。」アゼルバイジャン系の墓場は別にあった。難民となったアゼルバイジャン系の墓参りは一生できないかもしれない。ステパナケート中心部は普通のアルメニアの町となんらかわることなかった。スーパーもあり、路線バスなんかも走っていて結構大きい町だ。アルメニア人観光客が結構来ていて土産物屋も出ていた。戦争が再開しそうな緊張感はまったくない。帰り道、カラバフ共和国ビザのない私は警察に拘束。手記・デジカメ画像などすべてチェックしつつほとんど分からない独語による取調べ、2時間半後解放。ガソリンスタンドでは、ガソリンの代わりに天然ガスを使用、車もそれに対応して改造されていて驚いた。アルメニアは天然ガスの豊富なロシアとは親密なのだが、反ロシアのグルジア・敵国アゼルバイジャンに阻まれロシアとの陸路は遮断されている。24hオープンのイラン国境。足を机に上げて寝ていたカーキ色の制服を着た係員を起こしスタンプを押してもらう。これで出国手続きは完了のはず。ところがこのあと別棟に案内されなぜか白い制服のロシア人係員による検査!ロシア国旗、ロシア兵、スタンプこそ押されないものの綿密なパスポートチェック。もちろんロシア語。ここがソ連国境でなくなってから15年経過しているのに未だに国境警備をロシアに頼っているのだ。(そういえば2003年時点のタジキスタンのアフガン国境もロシアが管理していた)。ウズベク人だというロシア兵士には、敵国アゼルバイジャンのアリエフ大統領についての意見まできかれた。国境での思想チェックはイスラエルですらなかった。生まれて初めての経験。イランとアルメニアの関係は良好なので国境越えは簡単だと思っていた私は面食らった。イランイミグレへ続く長い緩衝地帯を歩きながら安堵で力が抜ける思いがした。


(以上2006訪問時)
  • http://4travel.jp/traveler/km/profile/


  • Alaverdi, Erevan, Garni, Geghard, Echimiadin..

    世界に広がるアルメニア人の組織。[・・・ヤン]は典型的アルメニア人の名前。例:カラヤン

    世界各地でアルメニア人には出会ってきた。カイロの時計屋でおじいさんが読んでいたアルメニア文字新聞、イスファハン(イラン)のアルメニア人地区、ベイルートの宿で見せてもらったアルメニア人の信仰の刺青、トルコで見たアクダマルの教会、ソロモンで出会った記者、そして映画[Ararat]・・・僕はアルメニアには特別な意識と思いを抱いてきたし、今でも注目している。

    強いアイデンティティーとプライドを持つ海外のアルメニア人に比べ、アルメニア本国のアルメニア人は、長いソ連の支配下のもとアルメニアらしさを相当失ってしまっているように見え、それが少し残念だった。







    【旅行時期】2006/08/~2006/08/
    【エリア】アルメニア
    【テーマ】
    【投稿者】km

    中東の旅【22】  中東(レバノン、シリア、ヨルダン)で出会った人達(by さすらいおじさんさん)

    アルメニア
     中東(レバノン、シリア、ヨルダン)は大シリアと呼ばれ世界四大文明の中のエジプト、メソポタミア文明の中間点で1万年以上前から人類が居住していたという歴史を持つ地域だ。ヤハウェ(エホバ)信仰からユダヤ教と正典・旧約聖書を生み、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと派生していった地域でもある。ヤハウェの神が共通である、いわば兄弟の宗教なのだが複雑な宗教の歴史は長期に渡る宗教戦争も生んでいる。民族もアラブ人、クルド人、アルメニア人、パレスチナ人などが居住し、ユダヤ人国家・イスラエルとの軋轢は依然解決していない。中東戦争や内戦も続き、国民は戦争と直面しながら生活してきている。だが、三国とも経済は上向いており人々の表情は戦争の傷跡など感じられないほど明るい。三国とも観光業を伸ばそうとしており日本人に対しても親切で写真をお願いしたら気持ちよく笑顔で応じてくれた。中東に本当の平和が訪れることを祈りたい。
    (写真はヨルダンのアカバで出合ったイスラエルのガザから移って来た少女)
    =中東の旅 完=

    【旅行時期】2005/09/27~2005/10/08
    【エリア】ヨルダン
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

    中東の旅【19】  「アラビアのロレンス」の舞台 ヨルダンのワディ・ラム(by さすらいおじさんさん)

    アルメニア
    ヨルダン南部、サウジアラビア国境まで約50Kmのワディ・ラムは「月の谷」とも呼ばれ、赤みを帯びた砂漠と男性的なゴツゴツとした岩山に囲まれたベドウィン族の街だ。確かに「月の谷」と呼ばれる通り月のクレーターを思わせる荒涼とした光景だ。ワディ・ラムには有史以前より人類が住んでおり、紀元前6世紀頃のものと言われる岩に描かれた文字や絵が残されている。ここではベドウィン族が運転する4WDで広大な砂漠のサファリを楽しんだ。
     ワディ・ラムが有名になったのは1962年のイギリス映画、 「アラビアのロレンス」のロケ地になってからだ。「アラビアのロレンス」ことトマス・エドワード・ロレンス(1888−1935年)はイギリス・ウェールズの名門の生まれで、オックスフォード大学で考古学を学んだ後、英国陸軍に勤務。第1次世界大戦中の1916年にトルコの圧制に苦しむアラビアに派遣されアラビア軍とともにアラブ民族独立のためにトルコ軍と戦い華々しい戦果をあげた。だが、アラブ民族独立の願いは叶わず、イギリスはイラクとヨルダンを委任統治領にした。アラブの英雄と見られたロレンスは、表向きはロレンスを旗頭にアラブ独立のために戦うポーズを見せながら、裏では1916年に英仏間でサイクス ・ピコ協定(戦後、アラブとトルコの地を、イギリスとフランスで分割しようとするもの)を締結するという二枚舌外交に利用され、逆に帝国主義の推進をさせてしまった。ロレンスの自伝ではワディ・ラムの夕日が好きなロレンスは戦後ワディ・ラムを訪問し、ワディ・ラム山を仰ぎながら正義感を政府に踏みにじられた自分のふがいなさを恥じている。2005年10月13日の新聞でロレンスが第1次世界大戦後の1918年に中東地域の領土分割構想を自ら書き記した地図が見つかったと報じられた。ロレンスは現在のイラク領土をクルド人の多い北部とアラブ人の多い南部に2分割することを提案。また、現在のシリア、ヨルダン、サウジアラビアの一部にまたがる広大な土地をアラブ人の支配領土とし、現在のシリアとトルコの国境付近にはアルメニア人の領土をつくることを主張している。もしロレンスの提案が採用されていれば3000万人と言われるクルド人は国土を得て中東の歴史も世界情勢も変わっていただろう。ロレンスは1935年にオートバイ事故で47歳で死亡しているがさぞ無念の死であったろうと察する。
    (写真はワディ・ラム)

    【旅行時期】2005/09/27~2005/10/08
    【エリア】その他の都市
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

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